【なぜ経験豊富な社長ほど、部下に仕事を任せられないのか】
「権限委譲をしましょう」という助言を、何度も目にしてきた社長は多いはずです。
それでも変わらないのは、意志が弱いからではありません。
理由がずれたまま、対策だけを繰り返しているからです。
先日、日経ビジネスが中小企業の社長200人に行った調査を読んで、背筋が寒くなりました。
現場業務を自分でこなすプレイングマネジャー型の社長は47.5%。およそ2人に1人です。
そのうち4割は、仕事時間の30%以上をプレイング業務に費やしていると答えています。
つまり経営者の半分近くが、今も自分の手で現場を動かし続けています。
任せているつもりでも、実際には手放せていない社長が、これほど多いのです。
この数字を、他人事として読み流せる経営者は少ないはずです。
中小企業の経営者は年々高齢化しており、事業を次の世代へ渡す局面が近づくほど、この壁は避けて通れなくなります。
私はこの数字を見て、ひとつの疑問を持ちました。
なぜ経験を積んだ社長ほど、任せられなくなるのでしょうか。
一つには、経験があるほど、任せた先の失敗まで具体的に想像できてしまう面があります。
経験が浅ければ、うまくいく可能性を素直に信じられます。
しかし経験を積むと、「このやり方だと、ここでつまずく」という映像が、頭の中に浮かんでしまいます。
ただ、これだけでは説明が足りません。
同じ調査企画のインタビューがありました。
権限委譲に詳しい、リンクアンドモチベーションの小笹芳央氏です。
小笹氏は自分の仕事を「テーマ」と「レイヤー」に分解して整理する方法を勧めていました。
この視点を読んで、私は理由を、解像度を上げて考え直しました。
経験が積み重なるほど、社長本人が「正解を知っている人」という立場に固定されていきます。
任せるとは、その正解をいったん手放す行為でもあります。
だからこそ、経験がある人ほど、任せる場面に強い抵抗を感じます。
失敗が見えるからというより、自分が積み上げてきた正解が崩れる不安を、無意識に抱えているのです。
この二つの理由は、互いに矛盾しません。
失敗の映像が浮かぶのは表面の反応で、その奥にあるのは、自分の正解が否定される不安です。
経験が深いほど、この二層は強く絡み合っていきます。
私自身、20代の頃に苦い経験があります。
効率と数字を優先しすぎて、周囲との関係に軋轢を生んでしまいました。
当時は、自分のやり方が正しいと信じて疑いませんでした。
振り返れば、正しさへの固執が周囲への判断を狭めていたのだと思います。
この類の空気は、社員にも伝わります。
自分なりのやり方を試す前に、社長の正解を先回りして探そうとする場面が増えます。
会議で意見が出にくくなる背景には、能力ではなく、この力学が働いている場合があります。
任せる側の姿勢一つで、現場の発言量は変わります。
だからこそ、小笹氏が提案する「テーマ」と「レイヤー」という整理は理にかなっています。
仕事を丸ごと渡すのではなく、まず自分の仕事をテーマ別に分解します。
次に、それぞれのテーマを、どの階層まで任せられるかで整理します。
その際に役立つ問いが二つあります。
「これは事業の存続に関わる判断か?」「これは自分でなければ下せない判断か?」
この問いに「いいえ」で答えられる仕事から、任せる対象として検討してみてください。
日々の業務の大半は、実はこの二問のどちらにも当てはまりません。
私が経営者との対話で使うのは、この分解を頭の中だけで終わらせず、ホワイトボードに書き出してもらうやり方です。
テーマとレイヤーを図にして並べると、判断の全体量が可視化されます。
書き出すと、自分が正しいとして抱え込んでいる範囲の広さに、あらためて気づけます。
すべてを一度に渡す必要はありません。
まずは一つのテーマから、「確認しているポイント」を言葉にして、渡してみてください。
任せた後に、どの節目で確認するかも、先に決めておくと安心感が違います。
完成してから確認するより、途中で軽く確認する形にすれば、失敗の芽を早く摘めます。
正解を渡す行為と、正解を失う結果は、まったく別の話です。
渡した先で部下が、別のやり方で結果を出せたなら、会社の正解が一つ増えたと考えられます。
特に事業承継を控えた社長にとって、この転換は避けて通れません。
後継者に渡すべきは、過去の正解自体ではなく、正解を導き出す力です。
経験を積んできた実績は、誇っていい部分です。
ここまで会社を育ててきたのは、間違いなくその経験の力です。
問題は経験自体ではなく、経験の使い道です。
正解を独占する道具として使うか、判断基準を育てる道具として使うか、その選択だけが分かれ目になります。
任せる怖さの正体は、部下への不信ではなく、自分の正解への執着なのです。
その執着に気づけた時点で、任せる準備は、もう半分終わっています。
残りの半分は、実際に一つ渡してみる行動でしか前に進みません。


